6月24日、母の3回忌法要・叔母の33回忌法要を行いました

6月24日、母の3回忌の法要を行いました。菩提寺の青松寺(妻田)にて、御住職に懇ろにお弔い頂きました。
厚木には、美味しいパン屋さん・ベーカリーが沢山ありますが、亡き母は、ポンパドウルのパンを好んで、よく買っていました。実家に寄るといつも、赤い袋に入ったポンパドウルのパンがありました。肺機能を患い24時間呼吸器を付けるようになって、駅までの外出も億劫になってからは、少しずつ減っていったように思います。今思うと、私が購入して、実家に顔出しをもっとしてあげればよかったと本当に後悔しています。
また、近いうちにポンパドウル(THE PASSION OF POMPADOUR)のパンを買って、故人を偲びたいと思います。

併せて、叔母の33回忌法要も執り行わせて頂きました。亡くなった叔母は、私のおむつを替えてくれたりして、私を育ててくれた家族です。しかしながら、私が 18歳でニュージーランドに渡り、数ヶ月が経った頃に亡くなりました。通夜・告別式には参列できませんでした。
その後の法要では、私の叔母は知的障害を抱えて、祖母よりも早く亡くなり、「(親に心配をかけずに亡くなり)親孝行だった」と言われていました。「やはりおかしい」と思う私の心、彼女の存在が、私を政治の道へ導いたことは間違いありません。
障害者福祉は私のライフワークですが、親よりも早く亡くなって、親孝行と言われる社会は間違っているし、心配をかけずに(障害者自身が)自立できる社会を作っていくことが私の使命であるとも考えています。

知的障害を抱えた叔母が、親(祖母)よりも早く死んで、親孝行だったといわれる社会は、やはり今回の悲劇を生む、もしくはそれを許容するという間違った考え方と根底でつながっているように思えてなりません。昭和63年(平成元年)に叔母が亡くなってから、ずっと私なりに考えていますが、やはり課題は大きいと思います。

/昨日の法要にお越し頂いた私のいとこが、デザインして、伯父(私の亡き母の兄)がミシンを踏んで作ったマスクを妻と子どもと(私にと)プレゼントしてくれました。プロの仕事です。
私は芸者置屋と料理屋の家に生まれた元調理師でもありますが、母方の実家は、縫製を請け負う仕事をしておりました。私の中学校の詰め襟制服は、完全オーダーメイド(人生で最初のオーダーメイド服。その後は全て既製品)でした。母も家ではいつもミシンを踏んでいる中で育ちました。特に誰かに教わったりしたことはありませんが、私も今でも普通にミシンを踏んで縫製はできます。
「門前の小僧、習わぬ経を読む」といったところです。ちなみにスーツの股が裂けてしまった時も、自分でミシンを踏んで直しています。

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