カテゴリーアーカイブ: 2006年スリランカ渡航

スリランカ、非常事態宣言 経済危機でデモ暴徒化

私にとって思い入れのある外国は、18歳から2年間を過ごしたニュージーランドと、20代に日本で働きながら現地(スリランカ)に職業訓練校をつくる活動をしたスリランカの2つです。当時のスリランカは、タミルイーラム解放のトラ(LTTE)という武装組織による内戦真っ只中でした。
2006年、新婚当時の妻と共に渡航した時のスリランカも未だ不安定な国でした。出発直前までテロなどの報道もある中、首都コロンボでの警察と軍による警戒態勢は、非常事態に匹敵するものでした。
空港への送迎や旅の前半は、ワジラ・アベイワルダナ国会議員(前国務大臣)の案内で、渡航の2年前に津波被害を受けた西南海岸、及び、世界遺産にも指定されているゴール市を(現地警察の随行など協力を頂きながら)廻らせて頂きました。
その後、2009年に内戦は終結し、インド洋の真珠という別名を持つ美しい国スリランカは、復興しはじめました。そんな中、コロナ禍を受けて再び極めて不安定な状況となっているようです。
張り付けたニュースと前後し、スリランカの友人から、「vision2040」というプロジェクトへの協力を依頼されました。

https://vision2040.lk/

私に何ができるのか限定的ですが、貧困を克服し、環境を整えることに対する応援を求めているようです。30年以上の付き合いのある私に最初のメンバーとなってほしいとの依頼です。

~~~
We want Politicians, Business Leaders, celebrities, sports stars, philanthropists to come together to promote :
1.Democracy
2. Human rights
3.Unity
4. End poverty and
5. Protect environment, flora and fauna
In Sri Lanka
As my good old friend I wish to invite you to be its first member
~~~
ウクライナ支援もそうですが、私のライフワークとして、途上国支援を行っています。

===
私は、高校を卒業してすぐ(1988年3月)に、18歳でニュージーランドへ渡り、2年間にわたって海外生活を経験しました。昭和天皇陛下崩御の知らせは、ニュージーランドにて知りました。
(ニュージーランドでは、就労ビザを取得し、少林寺拳法の指導員をしていました。現地の中学校などにも出向いて教えていました。)
その前後、シンガポール、マレーシア、タイ、台湾、香港等、アジア各国を半年ほどかけて、ひとり、それぞれの国の友人を訪ね バックパッカーとして、各国を廻りました。中国天安門事件直後のアジア各国の華僑の友人を訪ね歩く旅は、それまでの私の価値観をひっくり返すほど、私にとって衝撃でした。
帰国後は、料理屋を営む家業を継ぐ為に 2年間、伊豆の旅館で修業し、調理師となりました。その後、実家に戻り、通算で10年近く、調理師の仕事をして参りました。その間、調理師の仕事をしつつ、スリランカに職業訓練学校をつくる等、国際支援活動もごく小規模でありましたが、形にして参りました。
スリランカでの職業訓練学校設立・運営の活動は、その後の「平成10年度 国際ソロプチミスト日本財団ボランティア表彰(全国表彰)」や「慶應義塾 SFCアワード」「慶應義塾塾長賞(奨励賞)」授賞につながりました。一定の評価を頂きました。
「国際ソロプチミスト日本財団ボランティア表彰(全国表彰)」は、国際ソロプチミスト厚木としては、初の全国表彰であったとお聞きしています。

本日、娘3歳の誕生日、「テロとの闘い」について考える。

本日は長女3歳の誕生日です。彼女が成人したときに私は63歳です。社会の中で守ってやることができないかもしれません。だからこそ、よりよい社会を作らなければならないし、この子たちが健やかに育ってくれる社会になってくれるように強く望んでいます。政治家になる前のことを思い出しつつ、いろいろなことを考えました。

国際社会が推進した「テロとの闘い」は「イスラム国」などのテロ組織に対して打撃を与えたものの、テロリストに対するテロの脅威はむしろ増しています。

現在日本を取り巻く問題として、尖閣諸島をめぐる中国との問題、竹島をめぐる韓国との問題、ロシアとの北方領土問題等が挙げられます。

私は、政治の世界に入る前、国や公的団体等からの助成金支給、活動支援を受ける形で、スリランカ国内に職業訓練学校を設立・運営、紛争地域へモバイルクリニックと呼ばれる医師を送るなどの活動を長く続けておりました。

当時のスリランカは、LTTE、タミルイーラム解放のトラと呼ばれる武装組織による国からの分離独立運動が続いておりました。LTTEは、スリランカで武装闘争を行っていたタミル人のテロ組織で、現地での活動中、私自身も自爆テロの現場に遭遇した経験があります。
領土をめぐる紛争前線にも、当時国務大臣だった友人のワジラ=アベイワルダナ国会議員やティッサ=アベイビクラマ赤十字総裁(当時)に連れられて廻りましたし、実際に訪問する施設が、予定日の前日に自爆テロが発生したこともありました。
地元警察も一台ついてはいましたが、車には、常に銃を携帯し、助手席に座る私にも「何かあったら、ここにある銃を使っていい」と言われて、一緒に地域を廻らせて頂いた経験があります。

この頃は、第2次イーラム戦争と呼ばれていますが、LTTEはこの間、1991年5月21日には、平和維持軍派遣を決めたインドの元首相ラジーヴ・ガンディー氏を、1993年5月1日には、スリランカ大統領のラナシンハ・プレマダーサ氏を暗殺しています。

2009年に終結したスリランカの内戦は、民族間の「復讐の連鎖」が続き、終結する最後の最後まで終わりが見えませんでした。

それまでも私は、NZで少林寺拳法指導員の仕事をしながら、また、帰国後も留学生をはじめとした外国の方々と国際交流の経験もありましたが、「日本人感覚では紛争現場・戦争現場」には、通用しないという事をその時に確信しました。

ロシアとの北方領土問題についても平成21年、北方領土四島交流視察訪問団の一員として、国後島と択捉島を訪問して参りました。北方領土に居住し、生活をしているロシア人一般住民の方々をはじめ、当時のボンダリ行政長代行・スナプコフスキー第一副行政長ほか、行政の方とも意見交換をさせて頂きました。

スリランカにおいても経験したことでありますが、異文化、異なるバックボーンをもつ人々への理解を促進していくことが必要と考えています。異文化理解への取組をさらに推進することが、平和の実現や争いをなくしていくことにもつながると考えています。

【写真】: 20年から10年前の写真です。初めの2枚は、ティッサ=アベイビクラマスリランカ赤十字総裁(当時)。当時、世界の赤十字総裁の中でも際立って若かったと聞いています。3枚目と4枚目(の真ん中)は、当時、スリランカの国務大臣を務めていた ワジラ=アベイワルダナ国会議員(2015年9月からは、自治大臣就任)です。車には、常に銃を携帯し、助手席に座る私にも「何かあったら、ここにある銃を使っていい」と言われて、地域を廻らせて頂いた経験があります。
スリランカでの活動では、前述の通り、行政からも沢山の御支援を頂きました。また、財団法人ソロプチミスト日本財団「社会ボランティア賞(全国表彰)」、慶應義塾大学「SFCアワード」、慶應義塾大学「慶應義塾 塾長賞(奨励賞)」(写真)等を頂くなど、その活動を高く評価して頂いた事も活動が継続できた理由の一つでした。
※ スリランカの大津波被害時、アベイワルダナ議員は、最も被害の大きかったゴール市選出の国会議員であり、公共大臣でもありました。その後、現地に入り議員と共に被災地を視察しました。実際にどの様にして、災害からの復興を実現し、他市や他国からの救援依頼をどの様に受け入れたのか等について、興味のあるところでしたが、市当局の職員、土木関係者、NPOスタッフなど(復興に当たった現場の関係者)を一同に招いて頂き、食事をしながら直接、話を聞くことも出来ました。その時の写真は、このエントリにはありません。

スリランカでの写真(4)

 【写真】: 茶畑で、働くティープラッカー(茶摘み)の女性たち。政府による職業訓練学校。ここでは、外国に働きに出るための語学やマナーなどを教えています。日曜学校にもお邪魔をし、現場の教師・先生たちとも教育環境や政治情勢などについて語り、仏教の国であるスリランカのお坊さんにも歓待を受けました。子どもたちは、時として恥ずかしがり屋で、でも明るく、国民の一人一人も復興に向けて、力強く生きていました。

スリランカでの写真(3)

【写真】: シーギリヤレディのフレスコ画で有名な、世界遺産のシーギリヤとヌワラエリヤ(紅茶の産地として世界的にも有名)近郊のホートンプレインズ国立公園。朝の五時に出発し、ヒョウにも遭遇しました。私の足に並ぶ足あとが「ヒョウの足あと」。ワールズエンド(世界の果て)と呼ばれる名所にも行きました。この切り立った「断崖絶壁」の高さは、写真では伝えられないです。また、国立公園内は、入園が規制されていて、入る時と出るときにサインと料金が必要となります。しかし、きちんと整備されていて、美しかったです。
世界遺産を多く抱えるスリランカですが、前回よりもテロを警戒する兵士の数が多く見受けられます。世界遺産を狙ったテロが、起きないことを祈ります。

スリランカでの写真(2)

【写真】: 共に世界遺産の古都キャンディとアヌラダプラ。この区間は、列車の旅となりました。一説には、アジアで一番美しい車窓である言われています。私はスリランカへ来ると必ず、列車に乗ります。地元のスリランカ人に言わせると「『列車』なんて、やめて 『バス』か『ハイヤー』にしなさい。そっちの方が早いから。」といつも言われます。日本人は、列車の旅が好きなのでしょうか。
この区間は、どこまでも広がる茶畑とその間を流れる滝や小川、湖沼、林や民家の風景など、本当に美しかったです。まさに生で見る「世界の車窓から」といった所です。

スリランカでの写真(1)

スリランカでの写真です。渡航2日目と3日目。ワジラ・アベイワルダナ国会議員とのツーショット。腰まで浸かるほどの雨の中も、4WDの車で走りきりました。3日目は、地元警察の先導を頂いての移動となりました。VIPに次ぐ、扱いをして頂いたようですが、とても恐縮しました。渡航前より、スリランカの情勢は内戦の悪化が見られ、テロの危険性も高いとの事から(地元の状況などは良く判らないものですから)、また、現職の国会議員(前国務大臣)との行動ということもあり、標的にされる危険性もあることから、(警察のご協力を)お受け致しました。津波被害からの復帰状況を見て廻っておりますが、(津波から二年が経っても)道路の復旧工事は続いています。
【写真】: 「世界遺産・ゴール」の要塞にある時計塔など。

無事、スリランカより帰国しました。

本日、スリランカより帰国しました。2週間にわたる旅は、毎日が刺激的で、とても勉強になりました。今回の旅行は、政務調査費を使わず、私事旅行として伺いました。出発直前までテロなどの報道もある中での出発となりました。全体的に治安は問題ない様な気もいたしましたが、首都コロンボでの警察と軍による警戒態勢は、非常事態に匹敵するものでした。要所でのチェックもこれまでにないような厳しさでした。
空港への送迎や旅の前半は、ワジラ・アベイワルダナ国会議員(前国務大臣)の案内で、二年前に津波被害を受けた西南海岸、及び、世界遺産にも指定されているゴール市を(現地警察の随行など協力を頂きながら)廻らせて頂きました。アベイワルダナ議員は、最も被害の大きかったゴール市選出の国会議員であり、公共大臣でもありました。実際にどの様にして、災害からの復興を実現し、他市や他国からの救援依頼をどの様に受け入れたのか等について、興味のあるところでしたが、市当局の職員、土木関係者、NPOスタッフなど(復興に当たった現場の関係者)を一同に招いて頂き、食事をしながら直接、話を聞くことも出来ました。厚木市の防災対策への参考にもなりました。
渡航初日、二日目は、床上浸水もでるほどの大雨となり、足止めを食いました。土砂崩れによる緊急工事もそこかしこで、行われていましたが、その後の旅への影響はありませんでした。
二年前に7か国で30万人の死者を出したスマトラ沖大地震による津波被害は、スリランカにおいても大きな被害をもたらしましたが、そうした苦難を乗り越えて結婚されたお二人の結婚式にも出席させて頂いたり、(津波より)二年越しに再建した家の「建前のセレモニー」にもお邪魔しご主人の「生の声」を聞く等、貴重な経験もいたしました。日本からの「ODA支援」による公共事業であることを告げる看板も沢山目にしました。
政府による職業訓練学校。ここでは、外国に働きに出るための語学やマナーなどを教えています。日曜学校にもお邪魔をし、先生たちとも教育などについて語り、仏教の国であるスリランカのお坊さんにも歓待を受けました。
また、世界遺産4ヶ所(アヌラーダプタ、シーギリヤ、キャンディー、ゴール)と国立公園(ホートン・プレインズ国立公園)では、野生のヒョウや大鹿などに遭遇致しました。厚木市でも、西山(経ヶ岳、華厳山、高取山)の開発や棚沢地区のゴミ中間処理施設の問題が取り立たされている中、整備された自然環境を保護し、活かして行く姿勢は、見習うべきものがあると強く思いました。
私たちが、日本を離れている中、アメリカの中間選挙では、民主党の勝利が決まり、さらなる「いじめ自殺問題」、さらなる知事のスキャンダル、などがあったようです。スリランカでの写真については、追ってUPします。

スリランカ渡航のため、2週間ブログ更新をお休みします。

さて、私事で、恐縮ですが、今日から2週間にわたって、スリランカへと行って参ります。当初は、9月議会終了後に予定していたものでしたが、補欠選挙が決まったため、補欠選挙後の10月26日出発に変更いたしました。議会の都合上、これ以降にはできません。ので、申し訳ありませんが、本日から2週間は、いっさいの連絡がつきません。ご了承ください。しばらく、現実逃避と自分自身をも見つめ直す良い機会だとも思っています。ブログ更新は、きっと出来ないためお休み致します。
スリランカでの支援活動は、10数年来続けている私のライフワークでもあります。現地では、津波被害や紛争で、親を失った子どもたちの施設や学校も訪問する予定です。鉛筆数千本ほか筆記用具をお土産に持っていきます。ミチコーポレーションの植田社長のご協力もあり、野生の「象の孤児院」や象のウンチから作る紙(象さんペーパー)の現地工場にも訪問をする予定となっています。現地国会議員(元国務大臣)の友人ワジラ・アベイワルダナ氏の家をベースに観光も折り混ぜながらの2週間となります。7月下旬、政府とLTTE(反政府組織)の間で戦闘が再発して以降、国道A9号線・ムハマライ・チェックポイントが閉鎖されているなど、危険度も高まっている模様です。このように現地は危険とも報道されていますが、現地のワジラ代議士は、「たぶん大丈夫。佐藤にも会いたいから来なよ。」といい、植田社長は、「あ、全然大丈夫。心配要らない。」とおっしゃって頂きました。私も現地は、知っているので、心配はしていませんが、(今回は妻も一緒のため)それでも気をつけて行って参ります。
今回の旅行に政務調査費は、使用しておりませんので念のため。