月別アーカイブ: 4月 2019

私にとっての平成はニュージーランドで始まりました。そして、県議会で終わります。

(高校卒業後、NZへ渡航。アジア各国を廻る。その後、スリランカに職業訓練学校設立)

私は、高校を卒業してすぐ(1988年3月)に、18歳でニュージーランドへ渡り、2年間にわたって海外生活を経験しました。昭和天皇陛下崩御の知らせは、ニュージーランドにて知りました。日本においての当時の空気感を私は知りません。
(ニュージーランドでは、就労ビザを取得し、少林寺拳法の指導員をしていました。現地の中学校などにも出向いて教えていました。)

その前後、シンガポール、マレーシア、タイ、台湾、香港等、アジア各国を半年ほどかけて、ひとり、それぞれの国の友人を訪ね バックパッカーとして、各国を廻りました。中国天安門事件直後のアジア各国の華僑の友人を訪ね歩く旅は、それまでの私の価値観をひっくり返すほど、私にとって衝撃でした。

帰国後は、料理屋を営む家業を継ぐ為に 2年間、伊豆の旅館で修業し、調理師となりました。その後、実家に戻り、通算で10年近く、調理師の仕事をして参りました。その間、調理師の仕事をしつつ、スリランカに職業訓練学校をつくる等、国際支援活動もごく小規模でありましたが、形にして参りました。
スリランカでの職業訓練学校設立・運営の活動は、その後の「平成10年度 国際ソロプチミスト日本財団ボランティア表彰(全国表彰)」や「慶應義塾 SFCアワード」「慶應義塾塾長賞(奨励賞)」授賞につながりました。一定の評価を頂きました。
「国際ソロプチミスト日本財団ボランティア表彰(全国表彰)」は、国際ソロプチミスト厚木としては、初の全国表彰であったとお聞きしています。

(市議会選挙落選後、大学進学を決意)

その後、29歳で、初めて厚木市議会議員選挙に挑戦して落選しました。

一人前の調理師にもなれず、政治家にもなれなかった私は、それでも、政治の道をあきらめきれず、一年かけて大学を受験し、30歳で慶応義塾大学総合政策学部に進学しました。政治家になるためには、 必ずしも高校や大学を卒業している必要はありませんが、私は、高校卒業から12年遅れて、大学へ進学し、政治を一から学び直しました。

大学3年時の33歳で、厚木市議会議員選挙に初当選し、今に至ります。当時は、学生議員でありました。12年遅れて、大学に入ったことは、とても新鮮でした。私のまわりの学生たちは、先輩も含めて、ほぼ全て年下で、年下の先生も数人いらっしゃいました。

その後も、世界各地を廻り、厚木市議会副議長時代は、全国市議会議長会から代表として、北方領土への訪問団に加わり、国後島(訪問手続)と択捉島にノービザ渡航をする等の経験をさせて頂きました。

一世を風靡した事業仕分けにも「仕分け人」として、参加させて頂きましたし、慶大卒業後は、そのまま、学生議員となるべく、早稲田大学大学院(アジア太平洋研究科)へ市議会議員の立場で進学しました。大学院に進学し、2年生時には、結婚することができ、二人の子宝にも恵まれました。
気苦労をかけた母を昨年夏に亡くし、今となっては、大した親孝行もできなかったことが、一番の心残りです。

(震災対策と被災地支援)

「阪神淡路大震災」は、我が国における防災対策の大きな分岐点になりました。私も現地入りし、活動を展開しました。必要物資が不足する状況の中、「全国から届く物資」も大阪近郊で滞り、現場にいた誰もが課題を認識しながらも問題を解決するには人手が全く足りない状況でありました。

その後、2004年12月26日、28万人以上の犠牲者を出したスマトラ島沖地震の現場にも入りました。当時私は、調理師の仕事をしながら、スリランカに職業訓練学校を設立・運営する活動をしていました。友人の国務大臣(当時)と共に被災地を廻り、支援等を精力的に行いました。震災や津波被害現場での活動経験が政治を志す原点であり、厚木市議当選後、消防団に市議の立場で入団した理由もそこにあります。市議・県議として、震災と正面から向き合いました。

東日本大震災発災当時、学校を所管する厚木市議会議員(環境教育常任委員長)でした。その後、広域的に活動できる県議を目指し、県議選に挑戦しました。県議当選後は、震災対策と被災地支援・調査研究を所管する常任委員会と特別委員会の両方、且つ、二年間連続して就任し被災地支援に全力であたりました。

(そんな平成が本日 終わります。初心忘るべからず)

そんな平成が、本日で終わります。厚木市長選挙に挑戦し、敗れましたが、その後の県議会議員選挙で当選をさせて頂き、県議会議員として、平成を終えることができました。
明日から、新しい時代「令和」が始まります。新しい仲間たちと共に新たな時代をスタートすることを決めています。

【写真】: 高校を卒業し18歳でニュージーランド渡航/アジア各国を訪問。香港ではデモに/スリランカでは職業訓練学校を設立・運営/大学3年時に厚木市議会初当選/大学院卒業間際に結婚/二人の子宝に恵まれました

「平成」最後の日。県議会議員としての任期が、新たにスタートしました。朝一番は県庁本庁舎にて「記章受領」

本日は「平成」最後の日です。
本日、4月30日、県議会議員としての任期が、新たにスタートしました。朝一番は、県庁本庁舎にて、記章受領。
その後、執務に入っています。

無所属の議員として、新しい仲間たちと共に厚木市の抱える課題と正面から向き合い、県政の立場から、課題解決をはかって参ります。

本日は 昭和の日。明日は 平成最後の日で、県議会初登庁日です。明後日は 令和初日/消防団出動指令(災害出動順次指令)→ 火災出動

本日は 昭和の日。明日は 平成最後の日。明後日は 令和初日。

そんな本日、お声掛け頂いたBBQへと移動していると、消防団出動指令(災害出動順次指令)が出されて、火災出動しました。
渋滞の中、市内に戻り、(BBQに行けない旨、連絡ののち)現場に到着しました。詳細は申し上げられませんが、建造物の一部を焼損し鎮火しました。
その後、反転帰署命令(帰宅指示)がでました。負傷者は居りませんでしたが、出火し、建物の焼失・損失がありました。私も地元の消防団員として出動し、しっかりと消火活動に参加しています。

長女と一緒に出掛ける予定だったバーベキューは、お伺いできませんでしたが、その後、安藤玄一伊勢原市議会議員の選挙事務所の撤収作業に長女と共に参加しました。私の選挙でも可愛がって頂いた方々ばかりでしたので、長女も機嫌よく、お手伝いをできました。

明日が、県議会議員とししての初登庁日となります。(当選後から これまでは、あくまでも県議会当選者としての登庁でした)
「議員記章(議員バッヂ)」が午前10時から11時まで記章の交付がなされます。ちなみに 前期 初登庁日(2015年4月30日)は、私は、105人中4人目に交付(受付順)を受けました。議員バッヂには通し番号がついており、通し番号は94番でありました。

平成31年度東京大学学部入学式 上野 千鶴子東大名誉教授 祝辞

社会的に 非常に話題となった 上野千鶴子東大名誉教授 祝辞ですが、その後のインタビューで上野教授は「『私を突き動かしてきたのは社会の不公正に対する怒り』だと言いました。不公正があったらあなたたちも怒っていい、怒るべきだというメッセージ」と述べています。
上野教授のメッセージを広く知って頂くため、以下に引用・転載します。

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平成31年度東京大学学部入学式 祝辞

(上野 千鶴子東大名誉教授)
ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

女子学生の置かれている現実

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学…」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。

東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

女性学のパイオニアとして

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?…誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

変化と多様性に拓かれた大学

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、在日韓国人教授、姜尚中さんも、高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろう二重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。

あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

東京大学で学ぶ価値

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。

平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長
上野 千鶴子

※一部事実と異なる表記があり、4月16日付けで修正。

2019年(第7回)飯山花の里ポピーまつり/東京六大学野球 2019春季リーグ戦 慶応義塾大学 – 法政大学(第2回戦)を観戦

本日は、地域活性化団体「みどりと清流のふるさと創造委員会(小島富司委員長)」による「2019年(第7回)飯山花の里ポピーまつり」の式典に来賓としてお招き頂きました。本日は、式典前に会場に入り、祝電メッセージを持参し、関係者・御来場の皆様にご挨拶をさせて頂きました。飯山花の里ポピーまつりは、明日29日も開催されます。

/午後からは、妻と子どもたちと共に東京・神宮球場にて行われた 東京六大学野球 2019春季リーグ戦 慶応義塾大学 – 法政大学(第2回戦)を観戦しました。試合時間も2時間半を超える熱戦となりました。法政大学が、慶應義塾大学の追い上げを振り切って勝利し、1勝1敗としました。

慶応大学の佐藤 宏樹投手は、2020年のドラフト候補とも言われる逸材です。佐藤投手応援時は、私も同じ佐藤として、気分が良かったです。結局、負けてしまったわけですが、子ども達も大喜びでした。ただ、(子ども達は二人とも)帰りの電車では、疲れて寝てしまいました。

【写真】: 2019年(第7回)飯山花の里ポピーまつり/東京六大学野球 2019春季リーグ戦 慶応義塾大学 – 法政大学(第2回戦)を観戦

本日から10連休。厚木市から、お届け頂いた予算書をチェック。県議会での発言に活かします。夜は、町田で、支援者と意見交換会。

厚木市から、お届け頂いた予算書をチェック。

夜は、町田で、支援者と意見交換会。

【写真】: 厚木市から、お届け頂いた予算書をチェック。県議会での発言に活かします。

本日は、県議会登庁日。新人議員説明会があります。

本日は、県議会登庁日。新人議員説明会があります。県議会としての任期は、4月30日からです。4年間の付託を受けた重みを感じ、しっかりと働きます。
私も、新人議員説明会にしっかり出席させて頂く予定です。現職以外は、全員対象ですが、任意とも仄聞しています。

以下は、菅原直敏神奈川県議会議員のFacebookにあげた「新人議員の皆さんへ」という一文です。大変参考になるので、引用して掲載します。
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新人議員の皆さんへ〜議員と大学生の4年間はよく似てる

新人議員の皆さんは、当選の熱気も覚めやらぬ中、新しい世界に心沸き立ち、意欲的な気持ちでいらっしゃると思います。
さて、議員生活の4年間はあっという間です。そして、みなさんが想像する以上に4年間で新人議員の能力の差は開きます。例えるならば、大学生活の4年間と似ています。付言すると、受験勉強でふるい分けられ、均質な能力の学生が集まる大学と違い、様々な能力の人が集まる議会では、スタートラインにおいて能力の差が残酷なほど開いています。

まず、目的意識を高く持って当選した議員とただ漠然と「議員になりたい」と当選した議員では、この時点で大きな開きがあります。例えば、医師や弁護士になろうと思って大学に入った人は合格の翌日から国試の勉強を始めますが、そうでない学生は新歓コンパに出て、サークルに入って漫然と時を浪費します。議員の中にも、常に自己研鑽し、4年後の選挙を万全の体制で迎える人と、飲み会が議員の仕事だとばかりにだらしない体型になり、選挙前に慌ててとりつくろう議員に別れます。

また、目的意識の高い議員は活動の軸がしっかりしていますが、そうでない議員はいつまでも活動のリズムをつかめません。例えば、優秀な学生は単位もしっかりと好成績でとっていきますが、いい加減な学生は試験前に追われるようにノートを集めて、その場しのぎを繰り返します。議員でもしっかりと丹念な調査をした骨太な質問をする人と、明らかにやっつけ仕事のような(時として職員に作らせた)質問をして失笑を買う議員に別れます。

さらに、しっかりと地道にやってきた議員は市民からも評価されます。例えば、真面目に4年間を過ごした学生は様々な企業に引く手数多です。サボってきた学生には厳しい現実が待っています。議員の中にも2期目で得票を大幅に増やす人と、劇的に減らす人に別れます。もちろん、要領良く立ち回って良い就職先をゲットする学生がいるように、議員にも普段の活動をサボりながらもうまく立ち回って当選をする人がいます。ただ、みなさんはそういう愚かな議員になりたくて、議員を志したわけではないと思います。絶対にそんな議員にはならないでください。
ただ、議員と学生の大きな違いは、学生がダメになるのは自己責任、でも議員は市民から大きな報酬を頂いて仕事をさせて頂いています。ダメな議員になることは公僕としての背信行為です。

もう一度申し上げます。4年間の議員生活は皆さんが思う以上にあっという間です。心して取り組んでください。
4年間でどうしようもなくダメになった議員をたくさん見てきました。

相談であればなんでものります。
全国最年少のベテラン議員(地方議員5期)
共生の共創〜自分らしく生きる
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【写真】: 追記。新人議員説明会の写真です。(説明会開会前の撮影)

選挙事務所、今月末で引き渡しです。

選挙事務所、今月末で引き渡しです。
あとは、善意でお借りしたストーブを返却。
本日、ボランティアの方のお手伝いを頂いて無事に返却しました。
(寿町の地元事務所は、物置状態ですが、引き続き、同じ場所にあります。)

市長選への挑戦を決意し、事務所を探すも『空き店舗はあれど見つからず』
そうした中、(党派を超えて)「そんなんじゃだめだ」と不動産関係の方を含めて、
諸々探して頂き、やっと見つかった物件でした。
当初は、電気も通じていなくて、トイレも使えなくて、テレビもつなげない。
といったまさに「工事現場のような」事務所でした。
沢山のボランティアの方々が、それぞれにお力を発揮して頂き、何とか形となりました。

オーナー様にも、支援者の皆様、業者様、関係各位には、
長い間、お世話になりました。感謝の想いしかありません。

任期開始に向けて、もろもろ、準備/御挨拶廻り

私の県議会議員としての任期は、4月30日からです。26日に行われる任意の新議員説明会に私も出席する予定です。
初登頂日となる4月30日に「議員記章(議員バッヂ)」が交付されます。
任期開始に向けて、もろもろ、準備をしています。

【写真】: 当選二期目となる4年まえの「議員記章(議員バッヂ)」交付の様子。本当は、これまでも4年間(市議を入れると12年間)ほぼ毎日、自分でつけているのですが、慣例のようで、議員記章をつけて頂いています。

統一地方選挙が終わりました/小学校授業参観/星槎国際高校入学式

本日は、午前中、星槎国際高校の入学式にお伺いする予定でしたが、急遽、地元を離れることができず、(連絡の上)今年は欠席とさせて頂きました。

/午後は、子ども達の小学校にお伺いし、授業参観。小学校時代の同級生など私の幼馴染みもたくさん、保護者として参観しています。実際に小学校に入り、授業を見る機会は議員の仕事をしていくうえでとても貴重だと考えています。別にあらを探すわけでもありませんが、例えば、保護者の皆様と共に授業の様子を見守ることからの発見もあります。

/統一地方選挙が終わりました。私が、連日応援に入った安藤玄一伊勢原市議候補をはじめ、 神奈川県内を中心に応援に入らせて頂いた候補は、数名を除いて、当選に至ったものの、全体として大変に厳しい結果となりました。

「選挙の借りは選挙でかえす」
市長選挙敗戦後に臨んだ県議選においては、3期目の当選をさせて頂きました。
「選挙の借りは選挙でかえす」の想いから、統一選後半戦においては、市長選、県議選と私の選挙を支えて頂いた仲間達の応援をさせて頂きました。当選後の一週間の早朝街頭活動は、全て愛甲石田駅(北口・南口)にて、支援候補者と共に駅頭に立たせて頂きました。

「タフな人材が必要」
自治体はどこも、厳しい財政運営を強いられ、これからもその傾向は強まります。地方議会においても、男女を問わず、発想が豊かで、タフな人材こそが必要となります。私は、地方議員は「常に新しい価値を提供する存在」でなければならないし、しなやかで、したたかな議会運営を志向しています。

「完全無所属での勝利」
県議選では、政党からの公認・推薦を受けずに完全無所属として戦い当選をさせて頂きました。県や国の議会議員選挙において、政党の応援なくして勝利することは、非常に困難ですが、皆様の御支援を頂き、無所属を貫くことができました。これからの議会活動においても、活動の幅を広げて参ります。県議会での新たな任期は、4月29日からとなります。

「お願いから約束へ」
県議選の任期中は、選挙公約をHP上等で、公開し続けます。佐藤知一は「公約隠し」をしません。公約達成のためにしっかり働くことをお約束します。

「環境・自然との共生」
環境行政、ゴミ処理場整備については、「半永久的にゴミ中間処理施設が既存地域に存続するのではないか」という地元の不安に寄添い、その立場を貫き、これからも行動します。伊勢原市議選においても、広域自治体の県議として、ごみの有料化を争点とする候補者と共に選挙を戦いました。県立相模三川公園については、金田のゴミ処理施設に関わる施設を理由に厚木市側の整備を事実上撤回しています。神奈川県に対しても、地元負担の軽減を呼びかけ、人と自然が共生する都市環境の確保と整備を推進します。